Chisako Hori堀知佐子プロフィール
管理栄養士・食生活アドバイザー・アンチエイジング料理スぺシャリスト。京都の老舗料亭「菊乃井」で常務取締役を務めるほか、デパート向けの惣菜開発も行い、東京・赤坂のレストラン「ル・リール」では、オーナー兼シェフとして腕を振るっています。また、「きょうの健康」「子どもと作る和のおかず」「からだに効くおかず」など、食材や調理に関する著書を多数出版。様々な全国メディアにも取り上げられました。その他、管理栄養士、調理師、抗加齢医学会正会員、食生活アドバイザーなどの資格を持ち、多様な視点から食品会社や飲食店、地方自治体などにメニューアドバイスや食生活全般の指導を行っています。そしてこの度、新たに通販ブランド「ちさこ食堂」を立ち上げるに至りました。

Story

stage1

料理を知るきっかけ

パエリア

パスタ

「料理ってまるで理科」=面白い

私が生まれたのは、群馬県桐生市。実家は染色業で工場の中に住まいがあり、子供の頃から両親は朝から晩まで家業で働き、母が忙しい時は祖母が食事を作ってくれていました。私も毎朝早く起きて「つば釜」でご飯を炊いたりと食事作りが日常に近いものでした。そして、高校を卒業する頃。進路の話になり、父から「特に料理が嫌いじゃないのだから、お母さんがなりたかった栄養士になってあげれば?」と言われたのが、料理の世界へ入るきっかけとなりました。最初は食品メーカーの品質管理の職に就きましたが、料理に携わりたいと思うようになり、調理師学校の助手になりました。理由は調理実習の先生のすぐ近くで料理を見られることとお給料をもらえながら勉強できるということでした。助手になって思ったのは技術的な部分はもちろんのこと、理科の実験のように、温度と時間の違いで味や状態が変わる料理の奥深さに驚きました。勉強すればするほど興味深く、料理だけでなく日本料理の器の多彩さ、流儀も面白いと感じることができました。

父の教えを胸に秘め

ハーブ

「覚悟を持ってやっていかなければ
何も体得できない」

日本料理をきちんと学びたいと思ったのは、群馬の調理師学校時代に外来の講師で来ていた先生が「日本料理をやるんだったら、一度は京都に行ったほうがいいよ。」と声をかけてくださったことがきっかけでした。後先考えずまずは京都に行けば何とかなると思い行ってみたところ職を探してもどこも雇ってくれません。そこで、管理栄養士の資格を持っていることと、他の調理師学校で勤めていたことを強みと思い、京都の調理師学校を訪れました。はじめは「卒業生でないと、本校の助手にはなれない。」と断られたのですが、在校生向けの特別なカリキュラムを頼み込んで受講、履修し、「カリキュラムを履修したので卒業生として見てください。」と売り込み、晴れて助手となることができました。これが1つ目の転換期となりました。

堀知佐子

また、京都へ行く前のことですが、父に「自分で勉強する気がないとどこに行っても会得できない。誰かに何かを教わりたいだけで行くのなら行かないほうがいい。」と言われたことがあります。父は世の中で1番尊敬できる人たちの中のひとりであり、人間を成長させる話をたくさん聞き、厳しくも優しい考え方を教えてくれました。そんな父の「自分でやらなかったら何もやったことにならない」という教えは私の胸に深く刻まれ、自分が何も出来ないことを知っていたからこそ、調理師学校の助手をしながら色々な料理屋さんで勉強させていただきました。できるようになりたい。ただその一心だったのです。様々な調理師学校において8年ほど教鞭を執る中で、教えることはとても難しく、料理だけでなく、人としての考え方についても父の教えが救いになったことは間違いありません。

stage2

1995年
調理師学校から吉野家、
菊乃井へ

堀知佐子

「体得から与える」へ

調理師学校で働いていた時も社会人ではありましたが、利益貢献よりも自己研鑽の意識が高かったため、吉野家という大企業に就職してから、社会人としての在り方を学んだと思います。吉野家に入ってからは部下を持ち、チェーンストアマネジメントや数字管理など、人に知識や技術を与えなければいけない立場となりました。その後、京料亭「菊乃井」の物販事業部の立ち上げにも関わるようになり、これらの出来事が人生の2つ目の転換期となったのです。

stage3

2007年
アンチエイジング
レストランからの広がり

内観

「与えるから広げる」へ

2007年、三田にアンチエイジングレストランを開業したのが、3つ目の転換期と言えます。「食べ物が身体を作る」をコンセプトにメニューを構成し、新しいレストランとして注目を集めることに。これをきっかけにテレビや雑誌の仕事が増え、多岐にわたる展開になりました。フードロス問題の解決や食の大切さをより世間に広められるようになったのです。

“だけ”のハナシ

“だけ”のハナシ

「料理のことはあの人に聞いたら
大体のことは答えてくれる」
そんな人になりたい“だけ”。

料理を知るには沢山の情報が必要です。食材には新たな品種も増え、勉強し続けなければなりません。魚の卸し方や、鱧の骨切りなど、技術の体得も重要です。食の歴史やトレンドも知っていなければなりませんし、食事が及ぼす健康との関係など、沢山の有識者の方々と話し合う場を設けています。1つ解ると10ケわからない事が見つかりますが、勉強を続けているのはどんな事を聞かれても大体のことは答えられるような人になりたいから“だけ”なのです。

Vision

自分の健康を
自分でジャッジメントできるような
食の提案

新型コロナウイルスという感染症で、私たちの生活が大きく変わった今日、消費行動も大きく変わりました。外食も制限され、内食や中食、デリバリー食が中心となった今、欲しい物を適切にあてがえる食の提案と提供が必要です。食べたもので身体は作られているという現実を広く伝え、何をどう食べれば良いかを伝え続けていくのが、私の役割と思っています。ニューノーマルという新習慣の中で、食の楽しさ、喜びを感じてもらえるよう発信し続けたいと思います。

history

START

群馬県桐生市出身。元々料理が好きだったことから、管理栄養士の資格を取得。京都調理師専門学校の日本料理講師を務め、在職中に京都の料理屋等で研鑽を積む。

1999年

京料亭「菊乃井」の中食事業部を設立。デパートへ提供する惣菜メニューの開発担当、物販事業部の責任者となる。

2000年

有限会社コウズホーリーを設立し、飲食店や中食事業のメニューの助言や食生活全般におけるアドバイスなどを行う。

2001年

フレンチレストラン「ル・ヴェルデュリエ」を大田区に開業。

2004年

「株式会社菊の井」の東京店統括本部長、「赤坂菊乃井」の責任者となる。

2008年

アンチエイジングをコンセプトとしたレストラン「リール」を開業。オーナー兼シェフとなる。「食べ物が身体を作る」をコンセプトにメニューを構成し、新しいレストランとして注目を集める。

2010年

「株式会社菊の井」の常務に就任。

2011年

長寿美食研究会を発足。健康と食事の関係を栄養学・調理学の視点を通じて学ぶ料理教室を開催。

2013年

管理栄養士を対象とした料理講座を開設。(現在休校)

2015年

千駄ヶ谷に「リール」を移転し、「ル・リール」としてリニューアルオープン。

2016年

復興水産販路回復アドバイザーに就任。

2018年

発酵と熟成をテーマとしたレストラン「銀座KUKI」をプロデュース。菊の井食事業部(有)クリサンティム 代表取締役に就任。

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